気になることあれこれと…

日常のできごと。ゆる〜く気ままに。気になるアレコレ。

父の日に父を想う

明け方近くに網戸が勢いよく動く音が聞こえて、とても気味が悪い感じがした。目をあけるのも怖くて布団を被っていたらいつも通りの朝になっていた。

そのことをパパさんに開口一番に話すと風が強く吹いていからじゃないと言ってくれたε-(´∀`; )おばけじゃなくてよかった

昨夜は寝入りに父のことを思い出していた。

私は父が40歳を過ぎてからの子供で歳の離れた兄達より可愛がられていたかもしれない。勝手にそう思うようにしている😌

父といえばプロレスとパチンコと煙草はハイライト、手先が器用で無口、大正生まれ、戦争体験者。そのせいなのか毎晩のように寝言で戦時中の歌を歌っていた。当時小さかった私は「まただ!寝てるのに歌ってる‥もう!」って、嫌がっていたけれど大人になってからは、父の辛い体験だったのだと理解している。戦争の時は少年兵でラッパを吹いていたと母から聞いていた。そんな仕草も寝ている時に歌と一緒にやっていた。父に戦争の体験を聞いたことは一度もないし話してくれたこともなかった。学校の課題で戦争の話を聞くこと、とあっても父には聞いちゃいけないことだと感じていた。

私が小学校にあがる前のこと、父の自転車の後ろに座布団を乗せその上に小さな私を乗せて、時々パチンコ屋に連れていかれた。店の中では落ちている玉を拾ったり、膝の上に乗せてもらい打たせてもらうこともあった。いつしかダイヤルを回すものになっていた記憶も懐かしい。

夜コタツで寝てしまうとパジャマに着替えさせてくれて布団に入れてくれたこともあった。寝たふりをしても布団に入れてもらえたことが嬉しかった。

父があぐらをかいて座ると座りに行く。あぐらの感触は未だに忘れてはいない。父の体は細身だったけれどガッチリとしていて安定していた。あぐらの上で落ち着きなく動くと怒られたことも。

父が仕事から帰るまではドリフを見ることができて、帰ってくるとプロレスに変わる。聖歌隊まで見れるか見られないかだった。

一緒に女子プロレスを見ていたことも懐かしい。

中学の部活の帰りに母にだけ許しを得て貰ってきた子犬メリーを誰よりも父が可愛がっていた。ある日、首輪が外れて逃げてしまったメリーが、道路の脇に横たわっていると近所の人が見つけて知らせてくれた。車にひかれたかぶつかったかで足を怪我していた。外でしか用がたせないメリーを外に連れて行くために、車椅子っぽい物を器用に作ってくれた。父とメリーは普通の散歩よりも、車椅子のメリーと散歩に出たことの方が多かったのかもしれない。怪我が治ると車椅子の必要もなくなってメリーは元気になった。

父の最後は病気がわかってすぐに入院し、日に日に意識があるかないかわからずに最期を迎えた。私と父、この世では20年しか一緒にいなかった。今は父もメリーもいないけれど父といた楽しかったことを思い出した夜だった。